世の中、思い通りにならないことが多いですよね。
例えば仕事。
職場の人間関係。
嫌な上司。
毎日残業続きで追われる日々。
などなど・・・。
そんなとき、みなさんはどう考えていますか?
「生活するためには、お金が必要だから我慢して働くしかない・・・。」
そんなふうに、考えて毎日を過ごしていませんか?
「お金のために我慢をする。」
生活のためには、しょうがないこと。
と自分に言い聞かせていませんか?
その意識・・・すでに赤信号が点滅しています!
「お金のために我慢をする」ということが当たり前になっている日々。
いつのまにか、
「生きていくこと」 = 「我慢すること」
になっていませんか?
思い出してください。
より良い生活のために、お金を稼ぐことが目的だったはず・・・。
よりよい生活とはなんでしょうか。
幸せを感じる生き方ですよね?
しかし、現実は違います。
お金のために我慢をして幸せになっていない矛盾。
その矛盾に、そろそろ気づきませんか?
ほんの少し考え方をかえる。
お金に囚われた心を開放して、「おもしろく。たのしく。生きる。」
お金という厄介な存在・・・。
お金によって失われてしまう本当の自分。
そんな負のスパイラルから抜け出して本当の自分を取り戻しましょう!
「お金のため」という「矛盾」
今の世の中、お金は生きていくために必要です。
お金がなければ着るものが買えない。
日々のご飯も食べることができない。
寝るための住環境でさえも、ままならない。
といったように、お金がなければ「衣食住」が満たされないわけです。
そのため、お金は必要で「ある程度の我慢」は必要と言えるかもしれません。
しかし、その「ある程度の我慢」を続けていると・・・。
「我慢することが当たり前」になってしまいます。
しまいには、
「職場の人間関係」に悩まされようが・・・
「嫌な上司」に日々パワハラを受けようが・・・。
「毎日残業ばかりで倒れそう」になろうが・・・。
お金のためだと我慢をするようになってしまうのです。
でも、ちょっと考えてみてください。
「お金のために我慢をする」
矛盾していますよね?
より良く生きるためのお金だったはずです。
それが、いつのまにか「お金のために我慢している」自分。
自分というものを押し殺して、「お金のため」という理由の中に全てを押し込めてしまう。
そんな生き方が「幸せを感じる」生き方であるはずがありません。
言い換えれば、「お金のため」に「不幸な状態」を作り出していると言っても良いかもしれません。
不幸な状態から抜け出せない心理
「お金のため」ではない生き方とはどんな生き方でしょうか?
それは、本当の自分の心に従って生きることに他なりません。
本当の自分の心に従って生きるとは、「自分が幸せになる選択をする」ということ。
私は「生きるというのは選択すること」であり「選択」の積み重ねにてよって、今があると考えています。
私たちは、生まれたときから死ぬまで常に選択をして生きているのです。
その選択を「本当の自分が望んでいること」に従う。
たったこれだけで、幸せを感じる生活になるのです。
しかし、たったこれだけのことなのに・・・。
はい、できないんです。
まあ、できません・・・。
かくいう私も、頭ではわかっていても「本当の自分が望んでいること」を選択できません。
なぜ、選択できないのか?
これまた単純な話です。
「本当の自分が望んでいることを選択する」
ということは
「今、自分が持っているものを手放すことになる」
からです。
まあ、できない。いや~本当にできない。
「手放す」「手放す」「手放す」。
「手放す」=「失う」と考えてしまうわけです。
「失う」と感じる恐怖は並大抵のものではありません。
その恐怖によって身動きが取れなくなってしまうことすらあります。
本当は失うわけではなく開放されるのですが、その心理にたどり着くのは容易ではありません。
また、この手放すものが積みあがっていればいるほど大変です。
「肩書」「名誉」「名声」「お金」などなど。
そういうもののおかげで、周りから軽んじられたり疎まれたりしない。
手放すことによって、世間並の恥ずかしくない暮らしができなくなる。
「世間並」に「まともに」という「価値観」。
それが正しい生き方だと集団催眠のように植え付けられてしまっているのです。
その、「世間並」というか「周りから軽んぜられたくない」という心理が「選択」を誤らせてしまうのです。
世の中の「こうあるべきだ」という得体のしれない常識。
この「得体のしれない常識」はやっかいでとても強いものです。
その「得体のしれない常識」に囚われることで
「そうするしかない」
「そうしなければならない」
「そうすべきだ」
という、誰も強制していないのに勝手にがんじがらめになってしまうのです。
そんな心理状態で、今を手放して「本当の自分が望んていることを選択する」ことなんてできるわけがありません。
不幸を選択しているのは自分自身
「肩書」「名誉」「名声」「お金」、生まれたときには持っていなかったもの。
そして、人から軽んぜられたくないという心理。
これら全て「周りからどう思われるか、見られるか」に繋がっていることに気づきませんか?
そう、「選択」するための「判断」が自分ではなく全て「他人の目」なのです。
この「他人の目」が幸せを感じない自分を選択してしまうのです。
「他人の目」を選択の基準とすることで「自分が望んでいない選択」をする。
不幸を選択しているのは「他人の目」を基準にしている自分だということです。
一度振り返ってみてください。
これまでの自分の選択。
その「選択」は「他人の目」によって決められていませんか?
「他人の目」によって、「自分が望んでいない」選択をしていませんか?
「不幸になる自分を選択」しつづけていませんか?
その選択では、いつまでたっても不幸なままです。
当然ですよね、「自分が望んでいない状態」=「不幸」なのですから。
「他人の目」で「選択」をし続けると・・・
本当は違うと感じている自分。
本当は嫌だと感じているのに続けてしまう自分。
この心理は、自分はダメだと決めつけてしまっていることに他なりません。
勝負をする前から、自分は負けると決めつけてしまっている心理と言えるかもしれません。
例えば、仕事で考えてみます。
「今の会社を辞められない。」と考える心理。
⇒これ以上いい会社には入れない。
⇒これ以上高い給料を手に入れることはできない。
⇒この、会社にいることで周りから見下されることはない。
いい会社って何ですか?
他人から見ていい会社ですか?
高い給料っていくらですか?
他人から見てうらやましがられる給料ですか?
見下されるってなんですか?
自分とは関係ない他人からですか?
「他人の目」を基準に判断することで、自分はこれ以上どうすることもできないと考えるようになってしまうのです。
自分自身を、自分が常に見下している状態が普通の感覚になってしまうのです。
そして、生きていることが「辛い」状態が永遠と続くということになります。
こんな状態が長く続くはずがありません。
「他人の目」を基準に「自分が望んでいない」選択をしつづける。
必ず、心に負担がかかり最悪は「心の病」にかかってしまうことにもなりかねません。
一歩踏み出す
今、持っているもの全てを手放すということではありません。
「失う」という恐怖は並大抵のものではありません。
逆に失う恐怖で「心がこわれてしまう」ということになりかねません。
何か1つでいいのです。
今、選択しようとしていることの何か1つでいいのです。
「他人の目」を基準とするのではなく、「本当の自分が望んでいること」を選択してみませんか?
1つだけで構いません。
何か1つ、自分が望んでいることを選択する。
選択の積み重ねで今があるのです。
その選択を1つだけでも「自分が望んでいること」にする。
そうすることで積み重ねてきた道の方向が変わるのです。
それだけで、ほんの少し「自分が幸せを感じる」方向へ進んだことになります。
1つできたら、また1つと少しずつ増やしていくのです。
そして、本当の自分が幸せを感じる選択をどんそん増やしていく。
今の幸せを感じない生き方から、少しずつ幸せを感じる生き方へ変えていくのです。
そして、「自分が幸せを感じる」方向へどんどん進んでいきましょう。
今、この時に抜け出すための一歩を踏み出しましょう!
相談も1つの手段
自分自身の大切な時間を守るために、相談することも手段の一つです。
できれば心が不調になる前に、一歩踏み出すことが重要です。
まずは、「友達」、「親」など身近な人に相談してみてください。
話すことが大切です。
自分を変えたい!
でも、一人だと難しい。
そんな時は背中を押してもらうことが重要です。
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